物語本編
――その声は、まるで孫のようにやさしかった。
昼下がり、72歳の主婦・森田良子(仮名)は、台所で漬物を漬けていた。夫を亡くして5年、ひとり暮らしにもようやく慣れてきたころだった。電話が鳴ったのは午後2時を少し過ぎたころ。固定電話のディスプレイには「非通知」とだけ表示されていた。「はい、森田です」と受話器を取ると、「市役所の保険課の○○と申します。森田良子さんでいらっしゃいますか?」と、若い男の声がした。穏やかで、どこか頼もしさすら感じる声だった。
「実はですね、過去5年間の医療費控除に過払いがありまして、還付金の手続きが必要なんです。森田さんの分で、38,600円ほど戻ることになっております」
良子は驚いた。「まあ、そんなに?」
男はやさしく笑うような声で言った。「はい。手続きの期限が今日まででしてね、今からお近くのATMで還付処理が可能です」
「ATMでお金が戻るの?」と良子は首をかしげたが、男はすぐに答えた。「はい。銀行窓口よりもスムーズです。こちらが指示しますから、ボタンを押すだけです」
その言葉に、わずかな疑念が芽生えた。だが、年金暮らしの身に3万円超の臨時収入は大きい。夫がいなくなってから、孫たちにもあまり贈り物をしてやれていなかった。「これでお菓子でも送ってやろうかな」そんな気持ちが勝ってしまった。
良子はエコバッグを手に、近所のスーパー内の銀行ATMへ向かった。春風が吹き抜け、沈丁花の香りがした。電話口の男は、穏やかに言葉を続けていた。「では、画面に“送金”という文字が出たら押してください」「口座番号はこちらです」
言われるままに手を動かしながら、良子はふと“送金先”の名を見た。「カ)マルシステム」――聞いたことのない名前だった。
「あの、これで大丈夫なんですか?」と尋ねると、男は即座に答えた。「はい、それが還付処理用のシステム口座です。そこを経由して振り込みが行われます」
良子は頷き、言われた通り38,000円を送金した。その直後、男は言った。「はい、確認しました。次にもう一度、システム更新のための手続きをします。あと二回だけ操作をお願いします」
そのときだった。ATMの後ろから声が飛んだ。「おばあちゃん、それ詐欺だよ!」
良子が振り向くと、高校生くらいの少年が慌てた様子で駆け寄ってきた。電話の向こうの男が突然、声を荒げた。「誰だそれ!関係ない人に話すな!」
良子の心臓が跳ね上がった。怖さと恥ずかしさで足がすくみ、手が震えた。少年が「警察呼びます!」と叫んだ瞬間、電話はぷつりと切れた。
その夜、良子は警察署にいた。事情を説明しながら、震えた手が止まらなかった。結果的に送金していたのは38,000円ではなく、桁を一つ増やして38万円だった。男は、「3、8、0、0、0、0」とゼロを繰り返し言ったとき、ゼロを一つ多く押させていたのだという。
警察官は淡々と告げた。「最近、この“還付金詐欺”が非常に増えています。特に女性の一人暮らしが狙われやすいんです」
良子はうなだれた。悔しさよりも、情けなさが勝った。「まさか、自分が騙されるなんて」そう何度も心の中で繰り返した。帰宅すると、部屋は冷たく静まり返っていた。夫の遺影に向かい、彼女は小さく呟いた。「あなたがいたら、こんなことにはならなかったのにね」
翌朝、新聞を取りに外に出ると、昨日助けてくれた少年が立っていた。「昨日は、大丈夫でしたか?」と心配そうに尋ねる。良子は深く頭を下げた。「ありがとうね。あなたがいなかったら、もっと取られてたかもしれないわ」
少年は照れたように笑った。「おばあちゃん、うちのおばあちゃんにも、同じ電話がきたんだよ。ほんと、あの手の電話って多いんだ」
「おばあちゃん」という言葉が、良子の心を少しだけ温かくした。その日、良子は一冊のノートを取り出し、「詐欺体験記」と書いた。最初は震える文字だったが、書き進めるうちに筆圧が強くなった。恥ずかしい出来事を隠すより、誰かの助けになれば――そんな思いに変わっていった。
数か月後、町の公民館で「高齢者を狙う詐欺防止講座」が開かれた。良子は講師として招かれ、壇上に立った。あのノートを手に、静かに語り始めた。「私は還付金詐欺に遭いました。恥ずかしい話ですが、隠しません」
会場は静まり返った。彼女は、あの日の電話の声、ATMの光、胸に走った恐怖を、淡々と、しかし確かに語った。「『私は大丈夫!』と思っていたんです。でも詐欺は、自信のある人ほど狙ってくるんです」
話を終えたあと、一人の女性が泣きながら近づいてきた。「私も、同じ電話がありました。でも誰にも言えなかったんです」
良子はその手を握り、微笑んだ。「もう一人じゃないですよ」
その夜、仏壇に手を合わせながら、良子は夫に報告した。「あなた、私ね、少しは人の役に立てたかもしれないよ」線香の煙が静かに揺れた。失った38万円は戻らなかった。けれど、それ以上に大切なもの――人とつながる力、立ち直る勇気――を取り戻したような気がした。
翌朝、ノートの最後のページに、彼女はこう書き加えた。
「優しい声ほど気をつけて。でも、怖がるだけの人生はもっともったいない。人を信じる心は捨てずに、知恵を持って生きよう」
数年後、森田良子は地元の小学校で“おばあちゃん先生”と呼ばれるようになった。子どもたちに「こんな詐欺があるんだよ」と優しく教える時間が日課になった。あのとき助けてくれた少年・亮介は大学生になり、ボランティアで講座を手伝っていた。「おばあちゃん、あの時助けられなかったら、俺、一生後悔してたと思う」
良子は笑いながら言った。「ありがとう!あなたの勇気が、私を助けたのよ!」
会場に笑い声が広がり、春の光が窓から差し込んだ。人生は何度でもやり直せる。騙された痛みも、語れば誰かの光になる。あの日の春風が、また静かにカーテンを揺らしていた。
【還付金詐欺:対策コラム】
「優しい声にご用心――“還付金詐欺”から身を守る5つのポイント」
この物語の森田良子さんのように、実は“自分は大丈夫”と思っている人ほど、詐欺のターゲットにされやすいのが現実です。
「私は用心深い」「知らない人の話なんて信じない」と思っていても、詐欺師たちはその“自信”を逆手に取って近づいてきます。
特に「還付金詐欺」は、警察庁・消費者庁の統計でも年間1万件以上の被害が報告されており、被害者の約9割は60歳以上。
彼らは“親切そうな声”と“もっともらしい言葉”で人の心の隙に入り込みます。
ここでは、物語に出てきた“落とし穴”をもとに、あなた自身や家族を守るための対策を、具体的に紹介します。
① 「還付金」や「払い戻し」は、電話では絶対に案内されない
まず覚えておいてほしいこと――
役所・年金事務所・銀行が、電話でお金の返金を案内することは絶対にありません。
詐欺師は「市役所の保険課」「社会保険事務所」「年金センター」など、もっともらしい肩書きを名乗ります。
そして、こう言います。
「医療費の払い戻しがあります」
「年金の過払い分が返金されます」
「手続きの期限が今日までです」
こう言われると、「あら、そんな制度があったのね」と思ってしまう人も多いでしょう。
特に真面目で几帳面な人ほど、「忘れていたら申し訳ない」「手続きしなければ」と考えてしまいます。
しかし、役所からの返金は必ず文書や封書で通知されます。
電話一本で“お金が戻る”という話は、すべて嘘です。
もし本当に不安なら、電話を切ったあとで自分から役所や年金事務所の代表番号にかけ直すこと。
担当者が本物であれば、
「そのような電話はしていません」と必ず教えてくれます。
“電話をかけてきた相手の言葉”を信じるのではなく、
“自分で調べた番号にかけ直す”――
これが、詐欺を防ぐ最初の一歩です。
② 「ATMで還付」は絶対にウソ
次に覚えてほしいキーワードは「ATM」。
詐欺師はこう言います。
「銀行が混んでいるので、ATMで手続きができます」
「画面の指示通りに押すだけです」
「システム上の還付処理をします」
一見、親切で手際のいい案内のように聞こえますが――100%詐欺です。
ATMは「お金を送る」ための機械であり、「受け取る」ための機械ではありません。
「還付金をATMで受け取れる」などという仕組みは、現実には存在しません。
ところが、詐欺師は人の心理を巧みに操ります。
「難しい手続きは不要」「簡単です」「私が案内しますから」――
この言葉に安心してしまい、気づかぬうちに“送金操作”をさせられるのです。
少しでもおかしいと感じたら、すぐ電話を切りましょう。
そしてその場に銀行員や警備員がいれば、「こういう電話があって」と相談するのが一番です。
彼らは詐欺防止の訓練を受けています。
実際、銀行員の声かけで被害を防げた事例も全国で数多く報告されています。
③ 「今日中に」「すぐに」は、詐欺のサイン
詐欺師が最も巧妙なのは、“時間の焦らせ方”です。
彼らはこう言います。
「今日が手続きの最終日なんです」
「今すぐ行かないと、お金が受け取れません」
「あと30分でシステムが閉まります」
焦らせて、考える余裕を奪う――これが詐欺の基本戦略です。
人間は“時間がない”と思うと、冷静な判断ができなくなります。
森田さんも、「今日までです」と言われたことで急いで行動してしまいました。
「あとで家族に相談しよう」と思っていたとしても、「間に合わなくなる」という恐怖を植え付けられるのです。
こう言われたら、まず深呼吸をしてこう思ってください。
「本当に今日中なの? そんな急な話、あるはずがない」
電話をいったん切り、家族・友人・ご近所さんなどに話してみましょう。
他の人に話すことで、冷静さが戻ります。
焦って行動してしまうのは、詐欺師の思うつぼです。
④ 「優しい声」や「親切な説明」に騙されない
詐欺師の中には、元営業マンやコールセンター経験者など、話し方のプロが多くいます。
彼らは「不信感を抱かせない声」「安心させるトーン」を研究しています。
- ゆっくりと、落ち着いた声で話す
- 専門用語を交え、知識があるように見せる
- ときどき笑い声を交えて、親しみを持たせる
- 「お手数をおかけしてすみませんね」と“申し訳なさ”を演じる
つまり、**やさしさそのものが“演技”**なのです。
森田さんが心を許したのも、「丁寧な説明」「感じのよさ」でした。
しかしその裏で、相手は冷静に“どうすれば信じ込ませられるか”を計算しています。
「ご安心ください」「こちらで全部やります」という言葉は、
一見頼もしいようでいて、実は“あなたの思考を止める魔法の言葉”です。
声がやさしいほど、まず疑う。
どんなに丁寧でも、どんなに親切でも、「電話でお金の話」が出た時点で、すべて詐欺と考えてください。
⑤ 電話を「切る勇気」を持つ
最後に、一番大切なのはこれです。
**「電話を切る勇気」**を持つこと。
多くの被害者が口をそろえてこう言います。
「途中で怪しいと思ったけど、悪い気がして切れなかった」
「優しく話してくれたから、無視するのが申し訳なかった」
でも、覚えておきましょう。
電話を切ることは失礼ではありません。命と財産を守る行動です。
相手が何を言おうと、話を続ける必要はありません。
不安を感じたら、はっきりと「結構です」と言って受話器を置いてください。
「結構です」→ガチャッ――それでいいのです。
そして、もし本当に心配なら「消費者ホットライン188(いやや)」に電話しましょう。
全国どこからでもつながり、専門の相談員が冷静に対応してくれます。
通話料は無料。あなたの味方です。
また、迷った時には銀行や交番に立ち寄って「こういう電話があった」と話してみましょう。
多くの人があなたの安全を守るために動いてくれています。
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