「助けてください」――その一言を言えなかった老人は、ある冬の日の冷たい台所の床で倒れた。
発見されたのは、翌日の夕方だった。
冷蔵庫には、しなびた大根と味噌だけ。
財布には、千円札が二枚。
暖房は切られ、薬も節約のために勝手に減らしていた。
78歳の佐伯正造である。
一方、同じ町には、ほとんど同じ額の年金で暮らしながら、毎日三食を食べ、必要な薬を飲み、真夏にはエアコンをつけて暮らす77歳の老人がいた。
村井誠一である。
二人が受け取る老齢年金は、どちらも2か月に一度、約20万円。
ひと月にすれば、およそ10万円である。
金持ちと貧しい老人の話ではない。
年金額が大きく違う二人の話でもない。
それなのに、一人は倒れるまで食事と医療を削り、もう一人は必要なことはしっかりとできる生活をしていた。
この二人の人生を分けたものは、お金ではなかった。
たった一つ。
「困っています」と、誰かに言えるかどうかだった。
海から少し離れた地方都市に、この二人の老人は暮らしていた。
正造は築50年の古い借家に、誠一は同じ町の市営住宅に住んでいた。
二人とも妻には先立たれ、子どもとは長い間、ほとんど連絡を取っていなかった。
そして二人とも、自分の老後は自分で何とかしなければならないと思っていた。
ただし、その「何とかする」の意味が、二人では全く違っていたのである。
正造は、昔から口癖のように言っていた。
「人様に迷惑をかけるくらいなら、食べずに我慢したほうがましだ」
若い頃、正造は町工場で機械部品を作っていた。
真面目だけが取り柄で、病気で仕事を休んだこともほとんどなかった。
妻が亡くなってからも、炊事も洗濯も一人でこなした。
ところが、75歳を過ぎた頃から、生活は急に苦しくなった。
家賃は3万8千円。
電気、ガス、水道で1万円前後。
携帯電話と固定電話で6千円。
持病の薬と通院費が毎月8千円ほどかかった。
残るのは3万8千円ほどである。
そこから食費や日用品を買わなければならなかった。
年金が振り込まれる日は、偶数月の15日であった。
通帳に20万円ほど入ると、正造は一瞬だけ安心した。
「これだけあれば、しばらく大丈夫だ」
しかし、その考えが落とし穴だった。
20万円を一か月分のような感覚で使ってしまえば、翌月に入った途端、生活費が足りなくなる。
正造は年金が入った日に家賃を払い、二か月分の薬を受け取り、灯油を買い、壊れかけた電気ポットを買い替えた。
さらに、久しぶりに肉や刺身を買った。
それだけで6万円以上が消えた。
翌月の20日を過ぎる頃、財布には千円札が二枚しか残っていなかった。
冷蔵庫には、しなびた大根と味噌しかなかった。
正造は朝食を抜いた。
昼には薄い味噌汁だけを飲んだ。
夕食は、ご飯にお湯をかけ、塩を少し振って食べた。
暖房もつけなかった。
「昔は、もっと貧しかった!これくらい平気だ」
そう自分に言い聞かせた。
だが、本当は平気ではなかった。
冬の夜、室温は6度まで下がった。
布団に入っても手足が冷え、眠れなかった。
湯船にお湯を張ることもやめた。
三日に一度、短いシャワーを浴びるだけになった。
歯が痛み始めても、歯科には行かなかった。
「歯医者に行けば、また金がかかる」
膝の痛みが悪化しても、整形外科への通院回数を減らした。
医師から処方された薬も、一日三回のところを一日一回しか飲まない日があった。
正造は、自分なりに節約しているつもりだった。
しかし、薬を勝手に減らすことは、節約ではなく、健康を削って生活費に変える行為であった。
一方、村井誠一の生活も決して楽ではなかった。
市営住宅の家賃は収入に応じて決められており、正造の借家よりは安かった。
それでも、年金だけでは余裕がなかった。
誠一は年金が振り込まれると、20万円を最初から二つに分けた。
一か月目に使う10万円と、翌月に使う10万円である。
翌月分は、別の封筒に入れ、台所の戸棚の奥にしまった。
さらに、家賃や光熱費などの固定費を先に書き出した。
家賃、電気、ガス、水道、保険料、医療費、食費。
そして、千円でも二千円でも、突然の出費に備える金を残そうとした。
ところが、ある夏、誠一の部屋のエアコンが壊れた。
修理には数万円かかると言われた。
そのうえ、奥歯が腫れ、食事ができなくなった。
電気代を恐れて扇風機だけで過ごしていた誠一は、室内でめまいを起こし、玄関先で座り込んだ。
そこを通りかかった民生委員の女性が声をかけた。
「村井さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。少し休めば治ります!」
誠一はそう答えたが、立ち上がることができなかった。
女性は水を飲ませ、地域包括支援センターに連絡した。
地域包括支援センターは、高齢者の介護だけを扱う場所ではなかった。
健康、生活、認知症、家族関係、金銭管理、住まいなど、高齢者のさまざまな相談を受ける窓口であった。
翌日、保健師と社会福祉士が誠一の部屋を訪ねてきた。
冷蔵庫には卵が2個と、半分に切ったキャベツしかなかった。
社会福祉士は優しく尋ねた。
「一日に何回、食事をされていますか?」
「二回です」
誠一は答えた。
本当は、一日一回の日もあった。
「お金が足りないことはありますか?」
「年金を10万円もらっていますから。ぜいたくをしなければ何とかなります」
「誠一さん、年金をしっかりともらっているから相談してはいけないんだ、ということではありませんよ」
その言葉に、誠一は顔を上げた。
社会福祉士は続けた。
「相談することと、お金をもらっていることは同じではありません。まず生活のことを相談員と一緒に整理して、利用できる制度があるかどうかを確認するのです」
誠一は、初めて市の生活相談窓口を訪れた。
そこでは、生活困窮者自立支援制度の相談員が対応した。
相談員は、誠一を責めなかった。
「どうして貯金をしなかったのですか?」
「子どもに頼れないのですか?」
そのような言葉は決して口にしなかった。
代わりに、毎月の収入と支出を一つずつ紙に書いた。
年金、家賃、光熱費、医療費、食費、通信費。
すると、誠一が使っていない固定電話に毎月基本料金を払っていることが分かった。
補償内容を理解しないまま加入していた少額の保険もあった。
古い契約のため、携帯電話料金も高かった。
相談員は言った。
『食費だけを削る前に、毎月の固定費のお金を見直しましょう。食事と医療費は、最後まで削ってはいけない部分です』
誠一は、年金生活者支援給付金の対象になる可能性があることも教えられた。
これは、所得が一定基準以下などの要件を満たす年金受給者に、年金へ上乗せして支給される制度である。
ただし、条件を満たしていても、手続きが必要となる場合がある。
誠一は以前、年金事務所から届いた封筒を読まずに捨てていた。
「難しいことが書いてある役所の手紙は、内容が理解できないので、見ないで捨てていました」
誠一が恥ずかしそうに言うと、相談員は首を横に振った。
『分からない書類を持ってきていただくのも、相談窓口の仕事です。役所からの封筒は、捨てる前に読んでみて、わからなければ誰かに聞くか、相談窓口で見せてください』
医療費についても確認が行われた。
高額な医療費がかかった場合には、年齢や所得に応じた限度額を超えた分が支給される高額療養費制度がある。
自治体や医療機関によっては、生活に困っている人が無料または低額で診療を受けられる事業を実施していることもある。
歯の痛みを我慢して食べられなくなれば、栄養状態が悪化する。
栄養状態が悪くなれば、転倒や病気につながる。
病院代を惜しんだ結果、かえって大きな医療費がかかることもある。
誠一は、社会福祉協議会や地域の食品支援につながり、当面の米、缶詰、乾麺を受け取った。
それは豪華なものではなかった。
しかし、何日も空腹を我慢しなくてよいというだけで、誠一の表情は変わった。
相談員はさらに、生活保護について説明した。
生活保護は、働いていない人だけの制度でも、年金を受け取っていない人だけの制度でもない。
年金などの収入や資産を確認したうえで、世帯の収入が国の定める最低生活費に満たない場合、その不足分が支給される仕組みである。
年金を受け取りながら、差額分の保護を受ける場合もある。
「私は年金をしっかりと、もらっています。それでも相談していいのですか?」
『相談できます。ただし、収入、預貯金、保険、不動産、生活状況などの確認があります。申請すれば必ず保護が決定するわけではありません。それでも、申請したい意思があるなら、福祉事務所で申請について相談できます』
誠一は何日も考えた。
そして、通帳、年金の通知書、家賃の書類、保険証などをそろえ、福祉事務所に持っていった。
調査の結果、誠一は年金収入だけでは最低生活費に届かないと判断され、不足分について生活保護を受けることになった。
医療扶助により、必要な医療にもつながった。
誠一が受け取る金額は、他人が想像するほど大きなものではなかった。
急に裕福になったわけでもない。
外食を繰り返したり、欲しい物を何でも買えたりする生活ではなかった。
それでも、一日三食を食べ、必要な薬を飲み、真夏にエアコンを使える生活になった。
何より、困ったときに連絡できる担当者がいた。
正造の方はというと、彼の暮らしは、さらに悪化していた。
近所の人が地域包括支援センターへの相談を勧めても、正造は断った。
「まだ歩ける。介護なんか必要ない」
『介護の相談だけではないそうですよ』
「役所の世話になったら、近所に知られる」
正造は、支援を受けることを、負けだと思っていた。
やがて、歯の痛みで固いものが食べられなくなった。
買うのは、食パン、豆腐、うどんばかりになった。
たんぱく質も野菜も不足し、足の筋肉が落ちていった。
ある朝、正造は台所で転んだ。
立ち上がろうとしたが、左の股関節に激痛が走った。
電話は少し離れた棚の上にあった。
正造は床をはうようにして進んだ。
しかし、途中で力尽きた。
発見されたのは、翌日の夕方だった。
新聞受けに新聞が残っていることを不審に思った配達員が、近所の人に知らせたのである。
正造は脱水症状と低栄養を引き起こし、転倒による骨折で入院した。
病院の医療ソーシャルワーカーが、正造の生活状況を聞いた。
正造は、しばらく黙っていた。
そして、小さな声で言った。
「金がなかったんです」
『誰かに相談しましたか?』
「迷惑をかけたくなかった」
医療ソーシャルワーカーは、正造の目を見て言った。
『佐伯さん。相談することは、迷惑をかけることではありません。困っている人を助けるために作られた窓口を使うことは、誰かの物を奪うことでもありませんよ。』
正造の目から、涙が落ちた。
「でも、役所に行ったら、子どもに連絡されるんでしょう!?何十年も会っていない息子に、金を出せと言われるのは嫌なんです」
『生活保護では親族関係などの確認が行われることがあります。ただ、長年絶縁している、虐待や著しい関係悪化があるなど、事情によって、取り扱いは異なります。心配なことは、申請を諦める前に、福祉事務所にご相談ください』
正造は、自分が制度を何も知らないままで、ただ恐れていただけだったことに気づいた。
正造が退院する前、病院、地域包括支援センター、福祉事務所、ケアマネジャーが集まり、正造の今後について話し合った。
介護保険の要介護認定を申請し、退院後は訪問介護と配食サービスを利用することになった。
低所得者向けの負担軽減についても確認された。
住んでいた借家は段差が多く、冬は寒かったため、正造は高齢者向けの住まいへ移ることも検討した。
正造は、同じ病院の通院日に、偶然、誠一と再会した。
二人は若い頃、同じ工場で働いたことがあった。
「村井、お前、少し太ったんじゃないか」
正造が言った。
「2キロだけな。前が痩せすぎていたんだ」
誠一は笑った。
正造は、誠一が支援を受けていることを知っていた。
以前なら、哀れむような気持ちを抱いたかもしれない。
しかし、今の誠一は清潔な服を着て、顔色もよく、必要な薬をきちんと飲んでいた。
一方の正造は、長い入院で足が弱り、つえをついていた。
「恥ずかしくなかったか?」
正造が尋ねた。
誠一は、すぐには答えなかった。
「最初はな」
しばらくして、誠一は続けた。
「だけど、相談しなかったら、救急車で運ばれるような事態になって、もっと大勢の人に迷惑をかけることになるだろう!?早く相談するほうが、むしろ人にかける負担は少ないんじゃないかと思ったんだ」
誠一は正造が倒れて病院に運ばれたことは知らなかった。
そこまで誠一が考えていたことを知って、正造は、何も言えなかった。
誠一は財布から、小さく折った紙を取り出した。
そこには、生活相談窓口、地域包括支援センター、福祉事務所、社会福祉協議会、かかりつけ医の電話番号が書かれていた。
「冷蔵庫にも同じ紙を貼ってある。困ったら、どこかに電話する。自分一人で、どの制度を使うかどうかなんて、決めなくていいんだ。最初に相談した窓口が、必要なところにつないでくれるからな。」
その日から、正造の考えは少しずつ変わった。
年金の20万円が振り込まれると、まず2か月分の固定費を確保した。
残りを2つに分け、翌月分には手をつけないようにした。
通帳から引き落とされる契約を確認し、使っていない固定電話を解約した。
医師の許可なく薬を減らすこともやめた。
役所から届いた封筒は、開けずに捨てず、支援員に見せることにした。
体調が悪いときは、我慢せず連絡した。
生活は依然として質素だった。
特売の野菜を買い、豆腐、卵、納豆、缶詰などを組み合わせた。
肉が高い日は無理に買わなかった。
ただし、食事を抜くことはやめた。
冷暖房も、命を守るために、必要に迫られた日は使った。
春になり、正造と誠一は公園のベンチに並んで座った。
桜はまだ三分咲きだった。
正造は水筒のお茶を飲みながら言った。
「俺はずっと、誰にも迷惑をかけないことが立派な老後だと思っていた」
誠一は黙って聞いていた。
「でも違った。倒れるまで黙っていることが、一番、みんなを困らせるんだな」
誠一は、ゆっくりとうなずいた。
「制度は、使える人が使うためにある。若い頃に働いて税金や保険料を納めたことと、今支えてもらうことは、別々の話じゃない。社会は、順番に支える側と支えられる側になるんだ」
正造は、咲き始めた桜を見上げた。
「助けてください、という言葉は、恥ずかしい言葉ではないんだな。」
誠一は答えた。
「生きることを諦めない人の言葉だよ」
二人の年金額は、今も大きくは変わらない。
二人とも、裕福になったわけではない。
それでも、正造はもう、暗い部屋の中で一人で、空腹に耐える生活はしていない。
誠一も、制度にすべてを任せているわけではなかった。
自分でできることを続けながら、できないところだけを支えてもらっていた。
老後に本当に必要なのは、誰にも頼らない強さではない。
困ったとき、自分の暮らしを誰かに話す勇気である。
年金が少ないこと。
家賃が払えないこと。
食事を減らしていること。
病院へ行けないこと。
役所から届いた書類をどうしたらよいか分からないこと。
それらのことを誰かに聞いたり、頼ったりしても、なんの恥でもない。
黙って耐え続けなくてもよい。
相談しても、すぐに給付を受けられないこともある。
条件に当てはまらないこともある。
それでも、相談することで、医療、介護、住まい、家計、食料、見守りなど、別の支援につながる可能性がある。
正造は今、冷蔵庫に一枚の紙を貼っている。
そこには大きな文字で、こう書かれている。
「年金は、2か月分を2つに分ける」
「食事、薬、冷暖房の費用を最後まで削らない」
「役所の封筒は捨てない」
「分からないことは相談する」
そして、一番下には、誠一から教わった言葉が書かれている。
「助けを求めることは、迷惑ではない」
正造は毎朝、その紙を見てから、一日を始める。
誰にも頼らず倒れた老人は、ようやく知ったのである。
人は一人で誰にも頼らず生き抜くことがすばらしいのではない。
困ったときには、支えてもらうことも大切なことである。
そして、誰かに自分の経験を伝えることによって、社会の役に立つことが出来るのだ。
【この物語から学べること】
この物語から学べることは、老後に本当に必要なのは「誰にも頼らない強さ」ではなく、「困ったときに助けを求める勇気」だということです。
お金が足りない、食事を減らしている、病院に行けない、役所の書類が分からない――。そんなとき、一人で我慢し続ける必要はありません。
地域包括支援センターや福祉事務所などに相談することで、自分では知らなかった支援につながることがあります。
「助けてください」と言うことは、決して恥ずかしいことではありません。
むしろ、倒れてしまう前に相談することこそ、自分の命を守り、周囲の負担も減らす大切な行動なのです。
老後を支えるのは、我慢する力ではありません。
「困ったら相談する」という、小さな勇気なのです。
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